黒部ダム/富山

黒部ダム/富山

日本の高度成長を支えた大偉業をご覧あれ

三年ぶりの行動制限なしGWということで、長野~黒部ダムまで1泊2日のドライブ旅行に行くことに。

が、GW真っ只中ということもあってかすさまじい大渋滞に巻き込まれてしまい、都心を朝の6時半に出発したにも関わらず軽井沢の辺りのICに到着したのが14時半というありさま。さすがにホテルの晩御飯に間に合わないということで、本当は今年御開帳の善光寺に寄る予定でしたが、断念してストレートにホテルに向かうことに。

宿泊したホテルはアルペンルートにある「黒部ビューホテル」。富山県と長野県のほぼ県境にあり、ぎりぎり長野県に位置しています。

周りは大自然に囲まれており、空気がきれい。夜は本当に真っ暗になります。大浴場もあり、料理も美味しくて満足です。

翌朝は8時半に出発し黒部ダムのふもとの扇沢駅へ。

ここが扇沢駅。実は黒部を楽しむルートは二つあって、富山県側の立山駅から登るルートと、こちら長野県側の扇沢駅から登るルートがある。登った側から降りるもよし、反対側に降りて双方観光を楽しむもよしのハイブリッド観光地である。

ここで簡単に黒部ダム(通称:黒四ダム)の歴史をおさらいしよう。

時計の針は戦前にまでさかのぼる。「日本の屋根」といわれる北アルプスの3千メートル級の高い山々に挟まれた黒部峡谷は人々をよせつけない地形だったが、降雨量が多く急峻な河川であることから、水力発電に極めて適した条件を備えていると考えられていた。

そこで、初めてダムの建設計画が出たのが大正時代初期で、初の建設可能性調査が行われたのが大正7年である。ただ、ダムを立てるにはあまりに危険な地形であること・農業への影響や水害を心配する黒部川流域住民や国立公園協会などによる建設反対の動き・第二次世界大戦などにより建設計画は進んでいなかった。

時は進み戦後の高度経済成長期に差し掛かる1950年代前半。この頃日本の電力需要のほとんどは水力発電所により賄われていたが、戦後の急速な経済復興も重なり、渇水になると各地で停電が相次いだ。特に関西地方では、1951年の秋に深刻な電力不足に陥り、一般家庭で週3日の休電日が設けられたが、休電日に関わらず連日のように停電していた。

工業用電力も断続的に不足しており、日本の生活・経済の成長のために是が非でも電力を賄う必要があった。

そこで手を挙げたのが関西電力である。

本来この地域は中部電力の管轄であるが、あまりにも危険な工事で完成を約束できない・多数の殉職者が生じる可能性など、社運を賭けた挑戦となるため、なかなかここにダムを立てようという話にならなかったのである。こういった経緯もあり、現在も黒部ダムは関西電力の管轄にある。

着工は1957年、数々のトラブル(有名どころで言うと破砕帯など)を乗り越え、また、171名の殉職者を抱えて7年後の1963年に完成。黒部川第四発電所(だから「くろよん」ダムと呼ばれる)と合わせて運転を開始した。

1963年と言えば東京オリンピックの前年であり、この時代は本当にすさまじい勢いで日本が成長していた。この黒部ダムのおかげで関西地方の重工業化が一気に進み、日本の高度経済成長を支えたのである。

今はほとんどの企業が東京に本社を移しているが、この頃の工業の中心は東京でなく関西であり、この頃に創業・足場を作った関西出身の製造業は素晴らしい企業が多い(松下電工・住友電工等)。そういった企業の成長を支えたのもこの黒部ダムである。

こういった当時の関西地方の勢いを象徴するのが1970年開催の大阪万博だ。これもこの黒部の電力供給による大成長があって初めて成り立ったものだろう。

こういった鳥肌モノのストーリーを踏まえて観光することで、一層感慨深い気持ちにふけることができるものである。

話は逸れたが観光に戻ります。

実はここ黒部ダム、建設のみならず観光するにも一苦労するスポットなのだ。扇沢駅からすぐダムを見れるわけではなく、そこから電気バスで黒部ダムまで行き、そこから黒部ケーブルカー・立山ロープウェイ・立山トンネルトロリーバスを乗り継いでようやく目玉スポット「雪の大谷」までたどり着けるのである。しかも往復交通費はトータルで約9,500円と破格のお値段。

しかもGWということもあり、乗り継ぎのたびに30分~1時間ほど待つことになったので、全ての工程が終わるころにはヘトヘトになったものである。だがしかしそんな自分を支えたのは過去にこの地に黒部ダムを作った先人たちの魂である。建設の苦労に比べたらこんなもの屁でもないと自分に言い聞かせ観光を続けたものだ。

電気バスで最初に到着した「黒部ダム」写真で見るよりはるかに山々の迫力が凄まじく、ダムの壮大さにも圧倒された。こんな高いところにどうやって建てたんだろうと素直に疑問が湧いてくるくらいには凄まじい圧巻の景色である。

黒部湖と周りの山々。

水量の多い夏場であれば観光放水をしているので、その時期の来るのもいいだろう。また、黒部湖クルーズもしているので紅葉の時期に来るのもまた一興である。このように、季節によって違う顔を見せてくれるのも黒部ダムの面白いところだ。

折角なのでここからさらにケーブルカーに乗り室堂を目指す。

こんな感じでトンネルの中を進んでいきます。写真では分かりにくいですが、思った以上に急斜面で、落ちたらどうしようとひやひやしていたのはここだけの秘密。途中別のケーブルカーともすれ違ったりして面白かった。

ケーブルカー到着地である「黒部平」。ここにも展望台があり、これから乗る立山ロープウェイの向かう先が見えます。凄まじく高く・遠い先に見える。

これはケーブルカーからの景色。斜面に線が見えるが、これはスキーで下った跡です。実際この日もスキーで下っている人がいました。楽しそう。

ロープウェイで「大観峰」に着き、そこからトロリーバスに乗り着いたのがお待ちかね「雪の大谷」で有名な「室堂」。この地点は標高2,390mもあります。雪が積もるくらいには気温は低いですが、日光も地上の比ではないくらい強く、白銀の雪が照らし返すためサングラスがないとまともに目が空けられません。

これが有名な雪の壁。この日は16mもありました。こんな感じの雪の壁が延々と続いています。

この壁にカップルが指で落書きをしていたり、小さないたずら小僧がその落書きを消し去っていたりと、なかなか面白い光景がみれます。

帰りは、来た道をそのまま帰りました。正直乗り換えも多くかなり疲れますが、やはり自然の雄大さと人間の偉業のコントラストは見る者の目を惹きつけますね。魂が震えました。観光地としてとってもオススメ!

関西電力が黒部ダム建設に関するドキュメンタリー動画をYoutubeで公開していたと思うので、それを見てから向かうと一層楽しめると思います。また、当時の危険な地形の中作業をしていた様子なども見ることができるため、一見の価値ありだと思います。

帰りは、安曇野~山梨~神奈川ルートで東京まで帰りました。

せっかく安曇野を通るということで、昨日長野県で何も観光できなかったこともありそばでも食べて帰ろうということになり、たまたま通りかかった「そば処 安留賀」さんへ。古民家風の作りで、わさびがめちゃくちゃうまかった。詳細は別記事で。